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『3-4-3』を巡る冒険 ~前編~【ウディネーゼ、ミランを経てザックJAPANへ】

*2011-06-21更新 (アーカイブ記事)


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<【3-4-3】を巡る冒険>



先日のキリンCUPにおいてザックJAPANが3-4-3を披露した事から、

ここ最近 TVや新聞で「3-4-3」に関する活発な議論を目にしてきた。




曰く、「超攻撃的布陣」「両サイドが下がって5バックにならないように」・・・なんかは

耳にタコが出来るぐらい聞いたものだ(^^;





・・・もちろん、

賢明な本ブログ読者の皆様におかれましては

フォーメーション議論の際にしばしば陥る「机上の空論」の無意味さや

そもそもサッカーにおける本質が数字表記に無い事は重々承知と思われる。



しかしながら、以上の事を前提とした上で

フットボールをもう1歩深く楽しむ醍醐味の一つとして

各フォーメーションへの個人的な嗜好や持論は大いに結構。



ある者はオランダ式の4-3-3から連想する その攻撃精神に心をときめかせるも良し、

或いはプレミア式の4-4-2同士が見せるガップリ四つのぶつかり合いに男気を感じるも良し。



むしろ大人のたしなみとしては、


「いや~実は僕、キックオフ時に両ワイドに開いた

4-3-3の綺麗な並びを見るだけでハァハァ出来るんだよね」


ぐらいのフェティズムは持っていてもらいたいものである。(キリッ!)


(・・・変態でしょうか?  いいえ、手遅れです。)





そこで今日は、自他共に認める日本有数の廃人・・・


もとい「3-4-3フェチ」店長が贈る「3-4-3のたしなみ方」。



クライフバルサからアヤックス、ウディネーゼにミラン、

そしてザックJAPANへと巡る「3-4-3の歴史」に加え、


「3-4-3とは何か?」 「果たしてザックJAPANの3-4-3は本当に攻撃的なのか?」 「その可能性は?」

などなど【前・後編】に分けて一段とマニアックに切れ込みたいと思います。(笑)




(・・・やっぱり読むべきブログを間違えたのだろうか?  いいえ、手遅れです。 きっと 貴方も )






<カルチョの文化と偶然が生み出したザッケローニの【3-4-3】>

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まずは何と言っても現日本代表監督であるザッケローニが

初めて3-4-3と出会った そのドラマについて触れない訳にはいかないだろう。




時は1996年にまで遡る―



当時、・・・90年代前半~中期にかけてのイタリアサッカー=(以下、「カルチョ」)では

サッキが生み出し、一大旋風を巻き起こした新時代の戦術「ゾーンプレス」が隆盛を極めていました。



必然的に各チームが敷いた布陣も「ゾーンプレス」と相性の良い「4-4-2」が主流となり、

その「サッキの流れを受け継ぐ次世代の監督」として当時まだ売り出し中だったザッケローニがいたのです。




ちなみに何故「4-4-2」がゾーンプレスと相性が良いのか?と言うのは図を見れば一目瞭然。



左右両サイドと真ん中に均等に選手が配置されており、

それぞれの選手が受け持つエリアに偏りが無い。


よって、相手がどこから攻めてきても

どこにボールがあっても バランスよくそれぞれの「ゾーン」で「プレス」をかける事が出来る理想布陣なのだ。




その一方で、フィールドの10人全員に同じように仕事を課した事で

それまで「専門職」を売りにしてきた「職人プレイヤー」及び「ファンタジスタ」の居場所が

ピッチから消えるという現象もこの時期のカルチョで起こった象徴的な事例である。



ドリブラーで鳴らしたウイングが消え、Rバッジョがベンチに座り、ゾラはプレミアへ亡命。



この頃、カルチョの選手起用では「質より量」が重視され、

一発の特技を持つ選手より、攻守両面で働ける労働者が重宝された時代だった。





話を我らがザックに戻そう。


もちろん、当時ウディネーゼを率いていたザックは

この4-4-2を用いたゾーンプレスを採用していました。



ところが一つの偶然から起こったドラマによって、

彼の運命は劇的に回り始めるのである。




96/97シーズン―


ザックのウディネーゼは当時、セリエAの王者に君臨していたユベントスとの大一番を迎えます。


ちょうど就任から1年半が経過し、アモローゾとビアホフという2枚看板を軸にしたチームに

ザックは手応えを感じていた時だった。



ところがこの大一番、

あろう事か前半2分にSBのジェノーがレッドカードを提示され一発退場。


王者ユベントスを相手に残り88分を10人で戦う苦境に追い込まれたザック。



通常、サッカーにおいてこの局面に立たされた監督の9割以上が

FWを1枚削ってDFを補充する一手を打つ事だろう。



ところがザックは考え抜いた末、

前半2分でチームの2枚看板である2トップのいずれかを下げるのは得策では無いとして

このまま3-4-2の布陣で戦い続ける事を決断。



元々、中堅チームだったウディネーゼのチーム構成は

DFラインに守備に長けた選手を配置し、中盤は「ゾーンプレスの申し子」らしく攻守に働ける労働者を並べ、

得点は2トップの決定力に賭けるというものだった。



10人になった事で、余計な事は考えずとにかく守備だけに専念する3バックが かえって安定感を増し、

中盤の4枚は持ち前の運動量を駆使して攻守にフル稼働。



結果、試合はザックの狙い通りビアホフとアモローゾで3得点を叩き出し、3-0の快勝に終わる。




この一戦で3-4-2の布陣に確かな手応えを感じたザック。



カルチョの国で鍛えられたDFは守備に専念させる事で3枚でも充分いける。

であれば、余った1枚を前線に回してみたらどうか?―




ここにザックの3-4-3が誕生。




翌シーズン、ザックは3-4-3を本格導入するとセリエAで3位に食い込む大躍進を遂げる。


この手腕が認められ、ザックは遂にACミランの新監督として抜擢されるのである。





ミランを指揮するにあたって、

ザックは自身のサッカーを実現する為の欠かせない駒として

得点源のビアホフと、彼にクロスを供給する役目を担うヘルベグをセットで連れてきた。


早速ミランでも3-4-3の導入に着手し、

シーズンが開幕する頃、辿り着いたのが↓の布陣である。




【98/99シーズン ミラン (開幕時)】
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結果は・・・・・これがまた大失敗。



各選手の個性と採用した布陣の

ここまでハッキリとしたミスマッチもなかなか無い。



圧倒的な個の力と得点力を売りにするウェアをゴールから遠ざけ、

中央でゲームを作るのが本職のレオナルドとボバンは窮屈そうにサイドに押しやられている。


その上、持ち味ではないサイドの守備に体力を削られ、

肝心な攻撃では持ち味を発揮出来ない悪循環。



結果、機能した攻撃はヘルベグ⇒ビアホフ1本という

ウディネーゼ時代から何も進化がなく、せっかくの豪華な顔ぶれも宝の持ち腐れ状態。



つまり、ウディネーゼの手駒ではベストマッチした3-4-3も

ミランが抱える豪華な持ち駒にはフィットしなかったのだ。




元々、個の力で違いを作り出せる選手は高年俸であり、

中小クラブに雇う財力は無い。



故に「質より量」のチーム構成で「高い質」を持つビッグクラブを倒そうと考えた時、

その一つの回答としてザックの3-4-3は最適だった。




だが、この布陣はDF陣にへたに攻撃能力があったり、

中盤にファンタジスタや職人がいたり、

FWに個の力で得点出来る選手がいたりすると かえって機能性が低下する。




これに気付いたザックはシーズン中盤に布陣にテコ入れを施す。



ウェアをCFに戻し ビアホフと2トップを組ませ、

ボバンをトップ下の位置に置いてゲームメイクを任せるという

持ち駒の資質に寄り添った3-4-1-2に変更。





【98/99 ミラン (中盤~後半)】
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これで息を吹き返したミランは後半戦に猛追を見せ、

最終節で劇的な優勝を飾る。




・・・以上の流れから見ると

我が国では「超攻撃的」と言われている「3-4-3」だが、

その実、ザックが自身のモットーにも挙げる「バランス重視」の布陣であり、


強者よりも、むしろ弱者に向けたものと見る事も出来るのではないか。



<ザックJAPANの3-4-3>



翻って、話は先日のキリン杯で試されたザックJAPANにおける3-4-3である。




見方によっては、この布陣は日本相手に守備を固めてくるアジア予選向けと見る事も出来るが、

実はW杯を見据えた「対・格上用」の布陣と見る事も出来まいか?




W杯における日本代表がセリエAにおけるウディネーゼであるように。




事実、散々「攻撃的」が強調された2戦は「スコアレスドロー」で終わっているように

この布陣の可能性については、もう少し時間を持って見極めていく必要があるだろう。




最後に、この2戦における日本の戦いぶりの中で 非常に興味深い事が起きているので、

そちらを紹介して【前編】を締めくくりたいと思う。




【チェコ戦 ザックJAPAN (3-4-3)】
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↑が【3-4-3】のスターティングオーダーだが、

この布陣だと攻撃の全権を担う本田がサイドに追いやられている。



アジア杯で示した通り、ザックJAPANの生命線は

前後左右に動く本田を経由したボール回しと崩しにある。



やはりと言うか、事前に懸念されていた通り、

この3-4-3でスタートした日本は

攻撃の基準点を失い、明らかにチームが機能不全を起こしていた。



これを察知した本田が

すぐさま自己の判断で中央寄りのポジションに修正し、

これで日本のボールが回り始めると

前半も20分を過ぎた頃には遠藤、長谷部らと完全に中盤のトライアングルを形成していた。



この本田の動きによって布陣は【3-4-3】から【3-4-1-2】へ。




そう、ちょうどミランにおけるボバンと同じ現象が日本代表でも起きていたのだ。




【本田が中盤に下がり、前線は2トップに】
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興味深いのは、本田のこの判断を見てザックが何も言わないどころか、

むしろ手応えを感じたような表情でピッチを見つめていた事。



既にミランで得た経験から、この布陣変更をポジティブに捉える余裕があったのかもしれない。




・・・というより、もしかすると始めから局面によってこの形にシフトする可能性を見越した上での

3-4-3導入だった気もしてくる。





う~む・・・このチョイワル風オヤジはとんだ食わせもんだゼ・・・。






・・・・さて、長々とカルチョから発生した【3-4-3】の流れを追ってきた訳ですが、


実は【3-4-3フェチ】を自称する店長にとって

このカルチョ版3-4-3は全く僕の好みではございません・・・・!!wwww




次回の【後編】では、いかにして僕が「3-4-3」の虜になったのか?


その起源ともなったもう一つの3-4-3。


「クライフ」「アヤックス」「バルサ」発の

【3-4-3】を掘り下げていきたいと思います。




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